八宝亭事件の犯人、隠された真実とは一体?

1951年(昭和26年)、中華料理店『八宝亭』で起きた事件。八宝亭を営む夫婦と2人の子供が何者かに惨殺され、家からは現金と通帳が盗まれるという内容。当時、容疑者に浮上したのが、2カ月ほど前から『八宝亭』で働きはじめ、2階の部屋を間借りしていた第一発見者の山口常雄。

 

<犯人は?>

犯人は、第一発見者の山口常雄と言われています。しかし、留置所で毒物を自ら飲んで自殺したことにより、犯行動機や事件の全容解明は今現在もできていないようです。

 

・山口常雄はどんな人物?

茨城県川根村という村で生まれる。裕福な農家の次男として誕生し、何不自由ない生活をしていたが、実家の農業はあまり好んでいなかったようです。そのため、小学校を出てから横浜に出て、工場に勤務後、村の役場に勤め始めます。

 

しかし、役場勤務時代に当時の「配給品」の横流しをしていたことがバレ裁判の結果懲役1年半執行猶予5年を受ける。ですが、当時物資の少なかった時代の為、村に物資を流していた事から、村では犯罪者ではなく、英雄視され「時期村長は山口さんだ」とまで言われていた人物だったという。

 

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<隠された真実!?>

犯人とされた山口の証言によれば、事件の前日から店に住み込みで働き始めた女がいたという。この女は事件前夜、親戚と名乗る男となにやら会話をしており、しかも朝には2人ともいなくなっていたという。

 

この証言を元に、捜査は逃げた男女と、第一発見者である山口、この両面から進められた。

 

その後、警察に、女に関する情報がもたらされる。彼女が22日の午前9時過ぎ、都内の信用金庫に現れ、14万円の引きおろしに失敗したという。そこで警察は男女二人の犯行と断定、彼女を全国に指名手配した。 3月10日、都内の建築飯場に隠れていた女(22歳)が逮捕され、警察に次のように証言したという。

 

「かねてから洋裁の学校に通いたいと考えていた自分は伊豆の実家から上京した。ホテルで働いて学費を稼ごうとしていたが、安月給だったので、金目当てで夜の街頭に立っていた。その中で知り合ったYに洋裁学校の話をしたところ、『うちの店で女性店員を探している。訳を話せば、洋裁学校にも通わせてくれるだろう。』と言われた。そこで21日に店主に会って採用された。その日から住み込んだが、夜中に大きな音で目が覚めたところに山口が現れ、『朝の9時に信用金庫で14万円を下ろして、新宿で待ってくれ。このことは誰にもしゃべるな』と、現金千円と通帳、印鑑を手渡された。悪い事だと感じたが、千円に目がくらんで引き受けてしまった。」と証言。

 

取り調べでは、「山口が殺したのです。だが、私は共犯ではありません」と言って泣き出したという。

 

同日夕方に、山口逮捕。だが山口は黙秘権を使い、何もしゃべらず、夜になって「大変疲れているので明日、一切を話します。」と言って就寝。しかし翌午前5時ごろ、留置場で青酸を飲んで自殺しているのが発見された。青酸はスーツの裏などに隠し持っていたらしい。これにより、「八宝亭事件の真相」は闇の中に葬られることに。

 

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<共犯者の女とは?>

警察の聞き込みにより判明したそうだが、太田成子という偽名を使っていたNさん。東京の兄を頼って上京。宿屋の女中をしていたが、その後、生活苦から夜の女となっていた人物。

 

<まとめ>

隠された真実は、永遠に解明される事はないのかもしれません。しかし、このような事件がいつの日か無くなる事を切に願うばかりです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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