台湾で神として祀られている日本人(飛虎将軍)の語り継がれるエピソード

スポンサードリンク

海外で日本人が「神」として祀られている事をご存じだろうか?

 

台湾は台南市、飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)正式名称は、鎮安堂飛虎将軍廟という民間信仰の廟で日本軍人が神として祀られている。

 

でも、なぜ神と言われるほどになったのか?と思う方もいるだろう。しかし、歴史を紐解いて見ていくと、飛虎将軍のとった行動で後に台湾や日本に様々な影響を与えたことがわかるだろう。

 

<飛虎将軍生い立ち>

本名は「杉浦茂峰」。1923年に茨城県水戸市で生まれ物心つく頃には戦時中、そのため海軍へ。その後ゼロ戦パイロットとなり、1944年の台湾沖航空戦に盛島大201海軍航空隊として出撃。杉浦少尉は台南上空でアメリカ空軍(グラマン)を迎え撃つも撃墜されてしまいます。

スポンサードリンク
 

<村を救った>

当時の目撃者によると、グラマンの圧倒的な攻撃により尾翼から発火したゼロ戦。おそらく戦闘機から脱出するため急降下してきたゼロ戦があったという。

 

しかし、次の瞬間!?

何故か機首を上げ、機体を上昇した。

 

杉浦少尉は、自身が墜落で機体が落ちる場所に「海尾寮」という村があり、竹と木と土でできた家屋が並ぶ集落であることに気付いたため、この村を巻き込まぬよう住民のいない畑へと飛び去ったのちに墜落させ落下傘で脱出しますが、グラマンに落下傘を機銃掃射で破られ畑に墜落。壮絶な戦死を遂げたと言われています(享年21)。

 

また、なぜ杉浦少尉と分かったのか?ですが、今現在、飛虎将軍廟のあるあたりで、搭乗員が畑の上に仰向けに横たわり戦死していた。そこに村人が駆け寄ったところ、戦死した搭乗員の軍靴には「杉浦」と書かれていたそうです。その後、第二〇一海軍航空隊分隊長である森山俊夫大尉の協力で、この搭乗員が杉浦繁峰飛曹長であることが明らかになったそうです。

 

また、戦死時は兵曹長、戦死後に海軍少尉に昇進し、金鵄勲章が授与されています。

 

 

<海尾寮の不思議な噂>

第二次世界大戦後の数年が経った頃から、この村では不思議な噂が広まるようになったという。

 

それは、悲劇のあった養殖池付近で、

 

「白い帽子と服を着た人が畑を歩いていた」

「白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が枕元に立っている夢を見た」

 

と言うような心霊的な目撃談や体験談。

 

この噂で村中が恐怖にかられ、地元の神様にお告げを聞いたところ「それは戦時中の戦死者の亡霊である。」というお告げ。

 

その時、村の人々は「村を救うためにゼロ戦を最後まで操縦し、誰もいない畑に墜落させ、自分は逃げ遅れて撃墜された杉浦少尉」のことを思い出したという。

 

<廟の建設>

不思議な体験により村人たちは、この村を自らの命を犠牲にして守ってくれた杉浦少尉の魂を鎮めるためと、守ってくれたことに対する感謝を込めて1971年に廟(お寺)を建設。その際、親寺となった朝皇宮の保生大帝は杉浦少尉に「飛虎将軍」の称号を与えました。

※飛虎は戦闘機という意味。

 

<守り神へ>

廟が建ってからは、多くの台湾人や日本人が飛虎将軍廟で行われるお祭りにやってきているという。そして月日は流れ、飛虎将軍は徐々にこの地方の守り神となっていったという。

 

現在では、毎日管理人が朝夕の2回、3本の煙草に火を点けて神像に捧げ、日本の国歌「君が代」と日本海軍軍歌の「海ゆかば」を祝詞として流しているそうです。

 

 

<まとめ>

21歳という若さで戦死した杉浦少尉。しかし、少尉のとった行動は「人」として勇敢な行動をとられたと思う。

 

「一人が皆の為に、皆が一人の為に」

 

出来てるようで出来てない、本当に難しい行動。しかし、少尉のおかげで「人としてどうあるべきか?」という事を台湾より世界に発信できたと私は思っている。

 

 

しかし・・・

 

現代社会において、このような行動をとれる人は果たして何人いるのだろうか?これだけは常日頃感じている。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

スポンサードリンク

LINEで送る
Share on GREE
Bookmark this on Digg
Pocket

カテゴリー: エンタメ タグ: , , , , パーマリンク