アンソン事件の真相、その犯人は意外な人物だった!

事件は1994年3月10日の朝。アメリカの高速道路で起きた。そこは、どこにでもある高速道路。

 

だが・・その日は違った・・。

 

銃で複数回撃たれ息絶えた男性が発見されたのだ。男性の名前は、アンソン・バス・クリントン3世・28歳。

 

これが「アンソン事件」の始まり。

 

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<犯人は?>

この事件の犯人は「ドラックディーラー」。また、犯行依頼したのはキムの姉のベス・アン・カーペンターの上司で恋人のハーマン・クリーン。
 

<真相>

1993年1月、アンソンとキム・カーペンターの結婚パーティーが行われた。しかし、わずか1年後、最悪の悲劇が起こる。

 

それが、アンソン事件。だが、この事件には子供に対する「愛情・思い」が起こした事件として法のあり方が問われた事でも知られている。

 

アンソンとキムは二人ともバツイチ同士だった。そしてキムには前夫との間にできた子供、レベッカがいた。キムの母シンシアは、キムがアンソンとデートする間、孫のレベッカの世話を母親であるシンシアに任せっぱなし。

 

さらに、アンソンの仕事が看護助手だったのだが、後に男性ストリッパーになっていたりと、この結婚に大きな不安を抱えていた。一方キムの父ディックは二人の結婚に反対していた。

 

そして、ハロウィンの日、シンシアとの約束を破って以来、レベッカを連れて家には取らなくなったキム。さらに可愛い孫娘が、アンソンの両親の家の裏にある、物置小屋だと知った時、かなりのショックを受けた。

 

そこでディックとシンシアは、結果として孫を奪う事になった娘の結婚を許せなかった。そんな両親から相談されたキムの姉ベスは新米弁護士だった。

 

実は結婚パーティーの数ヶ月前(1993年11月)、姉妹は法廷でレベッカの親権を巡った激しい戦いを繰り広げていたが結果は敗訴、親権はアンソンとキムに。

 

しかしその後も両親の孫に対する思いを受け、再びベスは裁判を起こす。そんな中1994年3月「アンソン事件」が起きたのです。

 

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<犯人のその後>

依頼したハーマンは、州外に逃亡。

ベスは、アイルランドに逃亡。

その後、ハーマンは逮捕。1997年11月、ベスもアイルランド警察に拘束。しかし、アイルランドの法律として、自国で、処刑(死刑)される可能性のある外国人を追放することを禁じています。そのため、コネチカット州は、この事件について、ベスへ死刑は求めないと約束、ベスはアメリカに送還。それぞれ45年の懲役刑が宣告されています。

 

<事件からみえるもの>

孫や姪に対する思いが起こした悲劇だったのかもしれません。これは誰にでも起こりうる事で、他人事として客観的に語る事はできない。

 

子供、孫、姪、時が来れば、どれだけ大切なものか理解するだろう。そんな時、劣悪な状況に子供たちがいたら必至で守るのではないでしょうか?

 

ですが、子供の感情は「母親が一番」という事も考えられるので、とても難しい判断になるのは避けられない。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。
 

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