ポンペイ、一日で消えた街の最期の瞬間が明らかに!?

1860年から行われてきた古代帝国都市ポンペイの本格的な発掘調査。

 

この帝国ポンペイ、西暦79年8月24日(日本は弥生時代)にイタリアナポリ近郊ヴェスヴィオ火山の噴火によりたった一日で巨大都市が「死の街」となってしまった歴史。そのため、火砕流により丸ごと飲み込まれた街の生活や街並みを残すものは無いに等しいくらいだったそうです。

 

それに、これだけ短時間で飲み込まれたにも関わらず、人々の遺体がほとんど見つからないという大きな謎が浮上。さらに、町の至るところに不可解な空洞が点在しているという謎も。

 

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そんな帝国ポンペイの当時の生活や文化、さらに最後の瞬間が徐々に解明されつつあるようなので、調査致しました。

 

 

<歴史を解くカギ>

死の街ポンペイの歴史を紐解くカギは「不可解な空洞」を調査することで多くの手がかりを見つけることに成功したようです。

 

この不可解な空洞、実は火山に巻き込まれた人々の遺体をかたどった空洞だったのです。それを研究者らが石膏復元という技法を用いて調査した結果。多くの謎が解明されつつあるという。

 

それによると、最後の瞬間ポンペイの人々の約半数は避難することに成功しましたが、一部の人は逃げ遅れ、また大切な財産を守るためその場にとどまり高熱のガスで窒息、あるいは火山灰などにより最期を迎えたという仮説。

 

<当時の街並み・生活>

ポンペイには市の中心に広場、住居や劇場といった大衆娯楽に加え娼婦の館も存在していたことが発掘で見つかっています。

 

また、この時すでに道路下を流れる下水道も完備されている仕組みもあったようで、とても優雅な生活を人々がおくっていた可能性が高いと思われます。

 

また、当時の市民の生活を示す壁画・モザイク画・落書きでも贅沢な風景が記されており、商業が盛んで娯楽文化も当時最先端だった可能性が高い事も明らかとされつつあります。

 

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<身分制度も存在>

この調査で、ある地下室54人もの遺体が発見された。これにより、当時「奴隷制度」という身分制度も存在していた可能性が分かってきた。

 

 

しかし、世間一般的に知られている奴隷とは違い、ポンペイでは奴隷でも自由があったと考えられている。それは、奴隷と思われるアフリカ系男性の遺体を調査したところ、装飾などを身に付けている事からも紐解けるようです。

 

実はローマ帝国は人種や身分など関係なく成功する者がいたようです。

 

 

このポンペイの住民の多くは奴隷出身という歴史があるようだが、市民として地位や名誉を得られる実力主義の街だったのかもしれない。

 

しかし、現在も死の街となった帝国ポンペイの調査は継続中である。これから、どのような新説が出てくるかは分からないが大いに期待しておこう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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