本能寺の変に新説?スペインにある修道院の「古文書」に新たな真実?

 

戦国武将の織田信長が天下一統を目前に自害をとげた、

 

「本能寺の変」

 

天正10年6月2日、西暦でいうと1582年6月21日に起こったとされる歴史上最も有名な事件のひとつ。

 

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<一般的な認識>

中国地方攻略を進めていた羽柴(豊臣)秀吉に加勢するためわずかな側近だけを連れて向かった信長は、前々日より京都の本能寺に滞在していた。そこへ、同じく中国攻めに加わるため大軍を率いて出発した信長家臣の明智光秀が、突如として反旗を翻し主君を討つべく急襲したというもの。

 

 

<日本史における謎>

本能寺の変については、今なお多くの謎を秘めている。

 

「本能寺の変が起きた時、どうして信長はわずかな供回りだけしか連れていなかったのか?」

 

「戦略家の明智光秀がなぜ三日天下と言われるような無謀な謀反を起こしたのか?」

 

 

また、明智光秀の生涯についてもよく分かっていない。

 

 

しかし、近年の調査で新たな手がかりが海外にあったという。

 

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<海外の古文書>

気になる手がかりは、スペインにあるエル・エスコリアル修道院の古い書物に残されていたようです。

 

 

そこには、「私は、自ら死を招いたな。」という言葉が記されている。

 

この言葉が真実なら、なんとも意味深な内容である。

 

その古文書というのは、当時の日本の政治情勢だけでなく、生活習慣まで詳しく書かれており、日本人にとっては当たり前のことが事細かに記されている。

 

 

おそらく、外国の人が日本の暮らしについて、本当に見聞きした通りに書いたものだと思われている。そのため、「本能寺の変」について書かれた部分も、歴史の資料というより、日本人ではない人が純粋に聞いたままを記しているものとして、新説を考えるものとして注目を集めているようです。

 

 

しかし、現在も多くの謎があり解明されてはいないのが事実。

 

 

一般的に認識されている「本能寺の変」の解釈と「イエズス会の関与」など様々な説もあるので、どれが真実なのかを解明するのには時間がかかるのではないかと思われる。

 

 

日本史に残る最大の謎「本能寺の変」。

 

 

この戦国最大のミステリーに新説が現れ解明される日を期待したい。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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